「蒼い月」バージル篇

§15 記憶の断片  


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「お兄ちゃんの名前は ネロ。
あのね、お兄ちゃんはこどもじゃないよ。
にいちゃんよりも四のおじちゃんよりも おとななんだよ」
聞いてもいないのに ダンテが自慢げに話した。

「ネロ君、・・・さん?・・は ぼくたちの仲間なの?」
「知りません。分からないんです。
そんなどこの馬の骨とも分からない者を
ここのだんな様が 長いこと世話してくださっているんです。」
「弟の話では、もうおとなだって・・・
でもどうみたって、僕と同じくらいだ。」
「だんな様が いちばんお気に入りの姿でいられるように
ぼくをつくってくださっています」
「つくるって・・・お気に入りって・・・きみ」
バージルはいきなり ネロのきものを剥いだ。
背中に痛々しいほど 鞭の痕があった。
「きみ、ぼくたちと いっしょに行こうよ。
ぜったい きみは ぼくたちといっしょにいるべきなんだよ」 
「いやです。ぼくは ここにいる。
ほかのところへは いけない。・・・こ、怖いんです。
じぶんのこと、外のことを考えると頭が締め付けられるように痛みます。
それは耐えられない。」
ネロは急に激しくなった鼓動に息を切らし始めたが
じきに
「でもだんな様のことをおもうと、おちつきます。
あの方はわたしの守護者。
わたしは あのかたのためなら、なんでもさせていただく」
そう語るネロの目は半分うつろで 自分を失っているように見えた。

「にいちゃん! お兄ちゃんをいじめないで。」
はっとして バージルはネロにきものを掛け、背中をさすってやった。
ネロもすこしずつ自分を取り戻してきたようで
「ありがとう」と 弱く囁いた。

そのとき 使用人が
「荷物の用意が整いました。 だんな様がお呼びです」
と 声を掛けた。

「ネロさん、本当に今日はありがとう。
ぼく、また君と話したい。」
「今日はお帰りになるのですか?
宿を求めても、おそらく どこも泊めてくれないでしょう。
ここで おやすみなさい。弟さんはまだ ちいさい。
辛い思いをさせちゃだめですよ。
ぼく、だんなさまにお願いしてみます」
「でも・・・・」
バージルは 一刻も早く、この家をでたかった。
老人と同じ空気を吸いたくないような気がした。
「にいちゃん。ぼく、お兄ちゃんと いたい。 お泊り、いいよって」
バージルは ちょっと迷ったが、自分のわがままでダンテにこれ以上つらい思いをさせるわけにもいかないし
なにか曰くがあるに違いないネロの存在も気になる。
「じ・・・じゃあ、今夜一晩だけ・・・」
「ほんとに?やったあ!」
飛び上がって喜んでいるダンテに、自然とふたりに微笑みも浮かぶ。
これでいい、これでよかったんだ・・・そうバージルはおもった。

******

「にいちゃん! 
わるいけど、にいちゃんのつくってくれたもんより 
ここのお姉ちゃんのおかいさんのほうがんまい!」

ダンテは大はしゃぎだった。
ふっくりとした粥と漬物と汁。
暖かい部屋。
そして あたらしい 友達。
屈託がなかった。
「ネロおにいちゃんがじつはおじさんとか、ぼく びっくり。
ここのだんなさんって、魔法使い?」
「そうかもしれないよぉ・・・ 
朝おきたら、ダンちゃん蝶ちょになってるかもね」
「え? ほんと? にいちゃん・・・ぼく 蝶ちょ、やだ」
「蝶ちょはどこでも飛んでいけるのに・・・

うそうそ。だんなさんは魔法使いじゃないよ。
お殿様も頭を下げに来るくらい、すごいひとなんだよ。
ダンちゃん、お行儀すわりしなくてもいいよ。
楽にしなよ」
「おかあさんが ご飯食べるときはいい子すわりしなさいって。
膝をたてたり、机の上に足のせちゃいけませんよ、って。」
「そう、ちゃんと それを守っているんだね」

それから ネロはバージルに向き直り、問うた。

「バージルさん、あなた他にご兄弟は?双子・・・とか」
「え?ぼくは このダンテとふたりだけだよ。
双子だったけど、片方が亡くなったとかいうことも 
聞いたことがない。
どうして?・・・なにか 思い出すことがあるの!?」
「い、いいえ・・・ただ、ふと『双子』ということばが 頭に浮かんだだけで。
すみません。忘れてください。」

バージルは一組の布団を借り、ダンテと一緒に横になった。
「にいちゃん・・あったかい」
そういうと 弟はすぐに眠ってしまった。
そうだ、昨夜は眠れなかったのだ。
あの村の惨劇は つい 昨日の夜。
それからずいぶんと 長い時間がたっているように感じた。

「ネロ君、君の背中の傷は、どうしたの?
君も傷がふさがる・・・とかない?」
「ふさがっていたと思います。 
長いことたって、ぼくの体質が変わっちゃったんでしょうか、
すこし残ることもあります。」
それは体質の変化ではなく、癒やされる暇もなく次の傷が与えられているのだ、とバージルはおもった。
おそらく その仕打ちが ネロを閉ざされた世界に引き込んでしまったのだろう。
きっと ネロは自分達の仲間。
どうしてやることもできないのだろうか。
こんな残酷な目に合わすあの老人が憎かった。
ネロが可哀相だった。
そして、自分は絶対に あいつの思うようにはならない、 
利用してやるんだ・・・そう おもっていた。




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