「蒼い月」バージル篇

§8 ちいさな励まし 音楽を流します


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小さなダンテには わからないことだらけだった。

あの日から、兄が少し変わって見えた。
一緒にいて遊んでいても、
ふと 心は離れて遠くに行ってしまったような気がする。

ある晩のこと。
とても冷え込む日で、
ダンテはぷるぷるっとからだをふるわせて 目を覚ました。
隣でねているはずの 兄がいない。
心臓がどきどきして 声もでない。
うちの中にはいない。
外に出て、見える限りのところにも 兄の姿はない。
ダンテは猛然と駆け出した。

滝にはいない。
はずれの空き地に
兄はいた。
ひとりで剣を振るっていた。





冷たく、ぴんと張り詰めた空気。
上弦の半月が高い位置にあった。

兄はゆっくり、丁寧に剣を振る。
左上から右へ振り下ろし
一瞬握りを逆手にかえて 右から左へ振りぬく

ダンテは声を掛けることができず、
木の陰からその様子を見守った。

不安と憧憬と尊敬の念がないまぜになっていた。

次の日も、その次の日も 夜の稽古は続いていた。

が、月が満月にちかくなった 日。
バージルがいつものように そっと床からぬけだそうとしたとき
「にいちゃん・・・ぼくも つれてって」
と小さな声がかかった。
「ぼくも、 つれてって」
「寒いよ」
「だいじょうぶ」

自分を嬉しそうに見上げる顔は笑顔でいっぱいだが
つないでいる小さな手は 
絶対に離さないという 
必死な思いを伝えてきた。
(知ってたんだ。 さびしかったんだ)
バージルはそう おもうと、
じぶんひとり、いじけていたことが 
申し訳ないようなきもちになった。

「ぼくね、剣のお稽古してたんだよ!」
ダンテがいった。
「剣?」
「特製だっ」
そういって自慢げに見せたのは、どうということない一本の枝。

「みててね」
ダンテは ぽーんと枝をほうりあげた。
くるくるまわって 落ちてくるそれを 見事につかんで 格好をつけて見せた。
「あれえ、うまいねぇ!」
「練習した。 にいちゃん・・・ぼく、にいちゃんのお稽古のおてつだい、できる?」
「だぁめ。あぶないから。あたったら、怪我するから」
「にいちゃん。 的がなきゃ、振ってるだけじゃだめでしょ? ぼく、ちゃんと逃げるから、狙ってよ」
「ばかいうな」
「にいちゃん! ぼくをなめてもらっちゃ、こまるからねっ。 ぼくは速いよ!」
たしかに おにごっこをしていても、ちょろちょろすばやい弟をつかまえるのに 難儀している。
「じゃあ・・・いくよ」
バージルは、弟に剣が当たらないよう、ゆっくり振って、相手をしてやるつもりだった。
その瞬間 弟の姿が消え 見回すと、かなり高い木の上で笑っているではないか。
「やーい。おそいんだ」
「あ、こら 降りて来い!」
「ぼく、速いよ。みててね」
また そういうと ぽんと とびあがった。
そして、空中にもう一枚板があるかのように一蹴りすると 方向を変えて跳んだ。
「どうなってるんだ?」
「ぼくを つかまえて」

かといって、剣を当てるわけにはいかないので、どうしても腰が引ける。
バージルは 斬るけいこではなく、相手の気配を捉える練習にしようと きめた。
目ではとうてい追えない速さだった
バージルもまだ少年だ。だんだんムキになってきた。

一呼吸おいて ふっ と剣を振り上げた。
「うわっ」と声が上がり、はなれたところで ダンテがころがっている。

「しまった」
当てちゃったんだろうか。
「だいじょうぶ?ごめんよ。ムキになっちゃった」
「だいじょうぶだよ・・・すごいな、剣があたったんじゃなくて、
なんかさ、ぼんっって空気の剣みたいのがあたった。」

みると 額が少し切れている。
「血でてる」
「だいじょうぶだよ。なめたら治るでしょ?いっつも」

「おまえ、すごいね。ぼくにはないもの、もってるんだ」

「にいちゃん・・・元気になった?」
「え?」
泣き出しそうなのをこらえて
鼻にキュッとしわをよせた笑顔が
自分を見上げている

これまで この子の小さなココロは
どれだけ自分のことを気遣ってくれていたのだろう。

「元気さ。
さあて、明日は里行きだ。帰ろう」

ふたりはまた手をつないで家路についた。

しかし、またあの店主の顔をみるのかとおもうと、
暗澹たる気持ちになってくるのだった。
「こんどは 負けない・・・」
そう バージルは思っていた。




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