続・メッツァにかかる月

§1 ペペ



「濁っている」

狭い階段をさらに狭くする女たちを 肩で押し分けながら 
ニィは小さく嗤った。
階下のバーで安酒と女を求めて集まり ひしめいている男たちの罵声。
女たちの嬌声。
汗の湿気。
すえた反吐と小便のにおい。
そこらを漂う 草のけむりは甘く薫って人を惑わす。
なにひとつ クリアなものはなかった。
自分の頭さえも。

「さぁて 今夜のねぐらはどうすっかね」

ほんの数時間前までは 帰ることが許される場所があった。
「許される」というのが ニィにとって正確な表現だった。
画家助手のアパートだった。
ひと間しかない 小さな部屋で、半地下にあり、
昼間でも窓から離れればあかりが必要だった。
しかし あたたかく、やすらぎがあった。

神魔界から人間界に降りて3年。
そのうちの1年を
ニィはそこで エマと暮らしていた。
愛していると 思っていた・・・・・

「ニィ!ニィ!」
甲高い子供の声が自分を呼ぶ。
「・・・ペペ?」





大人たちの間で邪険にされている子供を見つけると
ニィは急ぎ足にその子に寄り ざっと抱えた。
「おい、ガキがこんなところにくるな。腐って溶けちまうぞ」
「だって エマのねえちゃんのとこにいないし、
この町で人がこんな時間に集まるの ここしかないし」
「エマが行けっていったか?」
「ううん、もう遅いから泊まっていきなさい、ニィはほっときなさいって言ったんだけど」
「ほっときなさいってか・・はは・・
んで、なんだ・・とにかく ここを出よう。
用事は おまえを教会に送りながら聞こう」

子供と一緒にいても ニィはいつもの調子で歩くものだから
ペペは小走りになってしまう。
ニィは気づいて少し歩調をゆるめた。
そしてごそごそとポケットをさぐり さっき 娼婦がくれたマカロンの包みをとりだした。
「食うか」
けれども包みの中のマカロンは粉々だった。
ペペは笑った。それでもうれしそうにそれを受け取ると
粉薬でも飲むように ざらざらと口にほおりこみ、 もういちど微笑んだ。
ニィはなぜだか照れくさく 鼻白んだ。

「手紙、預かってんのか」
ニィは用件に入った。
ペペは半魔だった。 
魔族である父親が魔界に帰ったおりに命をおとし、
残された人間の母親とともにいたが、まわりの身内から疎まれて引き離された。
いまは教会で他の孤児たちと暮らしている。
ただ、半魔であるので動きも俊敏で 死ににくかった
ニンゲンに紛れ込んでいる魔族たちを見つける鼻も利くので
魔族の力を必要とした人間が「つなぎ」をとるために ペペを利用した。
教会はペペを動かして 依頼者である貴族たちから「寄付」という名目の収入を得ていた。
この「おつかい」の過程で ペペはニィに出会った。
それからというもの、何か頼まれれば もっぱらニィにまわすようになった。

「ごはん食べてみんなで寝てたらね、マードレに起こされた。
黒仮面の男の人がいてね・・」
「いつものやつ?」
「うん。この手紙を届けてって」
「夜中でも子供を叩き起こして 外に出すなんざ たいした教会だね」
「僕 半魔だもん。強いもん。僕ね、おっきくなったら ニィみたいな ハンターになる」
「・・・やめとけ」
「どうして? 僕 半魔ってダメな子かとおもってたけど、ニィと会ってからダメじゃないって思った。
人間に頼りにされてる。僕も人間を守ってあげられる魔族になりたい」
「人間はお前につらくあたらなかったか」
「人間は やさしいよ。 おかあさんは やさしかった。おねえちゃんマードレもエマも」
「女ばっかしだ。おまえ〜 いまから女好き?」
ニィは笑った。
ペペはちょっぴり怒ったような照れたような顔で答える
「だって、だって やわらかいんだもん」
ニィはまた笑った。
ペペは言い返す。
「ニィはエマと喧嘩したの」
「うるせえ」
「喧嘩したんだ。ウワキ?」
「意味わかってんのか、こいつ」
「エマに叱られたんだ、やーい、ニィは悪い子なんですぅ」
「ばかいえ。俺みたいに イイコはいないんだっ。
ほれ、着いた。 帰れ。
いいか、ペペ。 自分を大事にしろよ。
本、読んどけ。いっぱいな。剣を振れることが強さじゃないから」
「ニィがいっぱい教えてくれる・・・」
「・・俺みたいなバトルフェチはだめだ」
「やだ・・僕ニィみたいに強くなる」
「強いってのは 剣の扱いがうまくて 喧嘩に勝つことばっかじゃねぇよ。
ココロを強くしなきゃ」
「ココロ?」
「俺はココロがダメダメだ」
「・・・わかんない」
「ははっ、ああ、俺もワカンナイや。 エマを頼むよ、相棒」
「・・・ニィ、どっか行っちゃうの? エマに叱られたから? 僕 一緒に謝ってあげようか?」
「サンキュっ、またな。 ほら、行け。 明日また早くから掃除とか させられるんだろ?」
ニィはペペを押した。
ペペは半泣きで 帰りたがらない。
ニィはギュッと ペペを抱きしめてから 額にキスをすると もう一度押した。





「ニィ、僕、ニィのギュっを忘れないよ。 また 帰ってきてね」
「ああ」
「約束ね」
「ああ」
「僕が教会に入るまで ここにいて」
「ああ」

ペペを見送り ニィは手の中の手紙を開いた。
町を貫いている街道を数マイル行った先の豪族から
一族の諍いのあいだに悪魔化した人間の浄化の依頼だった。
「浄化? コロセということだろ・・
いいさ。 今夜からしばらくの間の宿は確保できたってわけだ」

ニィは翼を広げ、夜空に飛んだ。






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