続・メッツァにかかる月

§5 ルネ (♪: やどりぎ:あおいとりのうた)



ふたりは 静かに抱擁した。
ニィより頭ひとつ小柄なルネは ニィの胸にすっぽり収まった。
ルネのマントの結び紐がほどけて 背まである 長い銀色の髪がさらりと落ちた。

「スイートモーメント? 似合わねえ言い方だ」
形のいい口が 微笑んだ。
ニィも微笑んで返した。
「からかうな。 
・・・よかった、生きていてくれた」
ニィが確かめるようにルネを抱きしめた。
「ばか・・・い・・いてぇよ・・・。ごめん。ちょっと帰り損ねちゃった」
「もういくなよ。おまえの還るところはスラブじゃないだろ?
俺たちの日々は幸せの時間だったはずだ。 さかのぼっちゃ だめなのか」
「時間はすすむものさ。
おまえは ヴァルハラ殿に出会い、おれはスラブに・・・」
「つらい目にあわせた・・俺が おまえをけしかけたばっかりに・・」

ルネのすとんと落ちた右肩に、ニィは締め付けられるような思いだった。

「つらい目・・か。
そうだな、 一度は俺は死んだかもしれない。
肉体的なものではなく、精神的な死だ」
けど、時はすすんだんだ。おまえにはおまえの、俺には俺の 今がある。

あの頃・・・純粋だったよな。 輝いていた。
たしかに スイートモーメントさ。
それに、 俺 おまえが・・・
ん・・いや、おまえが変わったように、俺も変わった。
甘い少年の時代はとうの昔におわったんだ。
今の俺には、スラブの殿がすべてなんだ」
「すべて・・?」

ルネのいう「すべて」の情景が ニィの頭に巡らされる。
ニィは自分の血が凍りついてしまうように感じられた。

「じゃぁ、俺がお前のすべてを取り戻してやる!
俺がおまえをスラブの呪縛から解放してやるよ!」

ニィがルネを揺さぶったとき 襟元がふわっと 開いた。
そこには竜を象徴するタトゥーが彫り込まれていた。

「・・・これか・・・これがお前の声を奪ったのか・・・
あいつ・・どこまで・・」
「ちがうんだ、スラブの殿は・・・いや・・いい。
スラブに帰るのは すでに 俺の意志だ」
「なぜ ここに来た? スラブに帰順するならなぜ オーディーンの危機を伝える?」

「おまえを監視することも ヴァルハラの状況を知らせるタイミングも
全部、指示されてることだ・・・スラブの殿に」
「策略の企てから解決まで すべて スラブの筋書きというのか・・・わからん。

「殿とヴァルハラ殿は以前より折り合いが悪かったらしい」
「ああ、そうだろうね

「あのふたりの関係は微妙だ。
ヴァルハラ殿は正義感にあふれた方だ。
戦車のように押してくる正義には
ときに辟易することもあるだろう。
わが殿はあれで繊細な感性をお持ちだ。
それを感じられたことは想像できる
わがままで 意地っ張りのこども同士の喧嘩のようにも見えるが・・・・・
力のある者同士がぶつかれば そうも言ってはいられまい。
前回のサンクチュアリでの意見の対立は わが殿の堪忍袋の緒を切ってしまった。
お前の存在が殿の怒りに輪をかけた」
「俺? ああ・・・ あのエロじじぃ・・・
あのとき、スラブがおまえをさらったのがわかったんだ。
くそっ、やっぱり あのとき 叩ききっていれば―」
「なんで 殿がお前に執着したのか・・・ 」
ルネが少し口許を引き締めたように見えた。






ニィは奇妙な感覚に戸惑った。
スラブはルネをさらい散々な目にあわせた張本人だ。
しかし ルネはそのスラブを「わが殿」と呼び、言葉のはしばしに 親愛をにじませる。
スラブが自分に言い寄ったことについて語るにも
軽い嫉妬が表れているようだ。
消えた言葉のおわりに「自分がいるのに」といいたげだった。
(そんなはずはない)と ニィは自らそれを否定する・・・
そして 18歳のあの日離れ離れになってからこれまでの年月
スラブから与えられた辛酸が これほどまでにルネを変えてしまったのだと思い
怒りをあらたにするのだった。

「単純に けんか相手のおもちゃをとりあげたくなっただけだろ。
ルネ、お前の役割は 結局なんだったんだ?」
「スラブの殿とて 今のニンゲン界の乱れを憂うのは同じだ。
それを収めるための手段を異にするヴァルハラ殿を大神の地位より駆逐したいのだ。
その邪魔となりそうなお前を
少しでも長く 下界にとどめ置こうと 下界にあれこれともめごとをおこさせては
その処理にお前を使った」
「で、その使いがおまえか・・・解放するでもなく、閉じ込めておくでもなく
おまえをまるで あやつるように・・・許せない・・・
でも これはチャンスじゃないか。 このまま 逃げてしまえば・・」

「俺が使いをかってでたんだよ。
スラブの殿の口からお前の名前がでたとき、
俺は 動揺した・・・
殿はその様子をおもしろがったのか、 会いたいかと 尋ねられた。

二ィ・・俺には涙がでそうなほど 懐かしく親しい響き
甘くて、切ない思い出・・・けど 変わってしまった俺は それに値しない・・
ずっと なかったものにして 鍵をかけ、心の奥底に沈めた。

なのに、なのに 一言で すべてがよみがえってきた。
殿を恨んだよ。
おまえに 会いたくてたまらない・・
同時に変わってしまった俺を見られるのが怖くてたまらない。

殿はおっしゃった。
過去を振り返ることは 今を見つめなおすよい機会。
そして この役割は 信頼のおけるものに 頼みたい・・・と

決まりだね。・・・うれしかった。
俺は殿の信に応える。
俺はすでに 殿とともにある!

俺は使いの役をやらせてくれと頼んだ。
殿は 俺の願いをきいてくださった。
そして 仮面をつけながら 必ず帰って来いと」

ルネはそのときのことを思い出していた。

竜神はけっして やさしさを表すことはない。
むしろ さもわずらわしいといった素振りを見せる。
しかし ルネは感じた。
仮面は ルネの不安をおさえるため 用意されたもの。
そして竜神が小さく「待っているから」とつぶやいたことは
ニィには言わなかった。

「ルネはそれを忠実に果たすというわけか」
「当然だ。 
だけど、こちらに使わされた3年。俺は ペペを通してでも おまえとかかわることができたのは うれしかった。
おまえって 意外にくよくよするタイプだな。わらっちゃうよ。
俺がスラブに住むことになったのは
おまえのせいじゃないよ。
俺には俺の、おまえにはおまえの 共に歩むべき人がいて、なすべきことがある。
俺たちは 別々の道を歩みだしているってことだ。
また会うだろう。だから いまは・・」
「会えるんだな、きっと。楽しみにしていていいんだな」
「ああ、きっとだ。
もうひとつだけいっておく。
スラブの殿はオーディーン殿がヴァルハラより去ればそれでいい。
しかし完全な死を望むものがいる。注意しなければならないのは そいつだ。
だから おまえは早くヴァルハラにむかうことだ。いいな」
「わかった。
ああ、なんだか昔と逆だな」
「逆?」
「おまえってば いっつも俺を頼りにしてくれてたのに、今は俺のほうがこどもみたいにだらしがねぇや」
「いつ俺がおまえに頼ったよ」
「かわいかったのにねぇ」
「うるさい。・・・じゃな、ニィ。必ず また会おう」
「必ず」
ニィは ルネの額に軽くキスをした。

いきなりうろたえたルネが ニィを押したはずみでしりもちをついた。
そのうろたえようはニィがびっくりするほどで ――
「な・なんだよ、あいさつしただけ」
「てめぇ、いっぺん」
「ぶっころす?」

あとは ふたり、 微笑みを交わせばよかった。

ルネは マントをかけなおすと 部屋の隅のくらがりに 溶けるようにして消えた。





***





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